DRAMと違うのはキャパシタが常誘電体でなく強誘電体である事で、このためFETにリーク電流があったり電源がOFFになったりしてもキャパシターの電荷(=情報)が消えない。つまり不揮発メモリであり、同時にリフレッシュ動作が不要なため消費電力が少ない。ワード線とビット線の間に電圧を印加して強誘電体キャパシターを任意の方向に分極させる。分極の方向によってビット線に電圧をかけた際の電流の量が変わるので、これから1/0を判定する。読み出し時にキャパシターの電荷は変化しないので非破壊読み出しであり、かつ構造も単純なのが長所。しかしゲート絶縁膜部分の界面リーク電流が大きく、現時点での実用化は困難である。1T1C型と同様、ワード線によってセルを選択する。書き込みはやはりプレート線への電圧印加によって行なうが、この時に時間差をかけて時刻t2から図のビット線2にも電圧を印加する。時刻t3にプレート線の電圧が0になると強誘電キャパシタ2には負の電圧が印加されるため、もう一方の強誘電キャパシタ1とは逆方向に自発分極が向く。こうして互いに異なる向きの分極が形成されるため、「0と1」または「1と0」という組み合わせで0/1を表す。
筐体の大きさについてはノートパソコンを閉じたときの状態で紙の寸法のA列およびB列になぞらえてカテゴライズされている。また、紙の寸法より一回り大きい「ファイルサイズ」という表現も用いられる。筐体の大きさを生かしてキーボードは独立したテンキーが配列されているタイプが一般的であり、メモリカードリーダーやアプリケーション起動ボタンが多数配置されているモデルもある。HDDを2台内蔵してRAIDに対応したモデルも存在する。2000年代前半から普及しだした大きさ・カテゴリーであり、Blu-ray Discドライブを搭載した高画質AV鑑賞や3Dシューティングゲーム・CADなど高性能、マルチメディア用途向けとしているものが多い。
日本法人であるインテル株式会社は、東京都千代田区(東京本社)と、茨城県つくば市(筑波本社、つくばエクスプレス研究学園駅近隣)の2ヵ所に本社を置く。登記上の本店は東京本社である[1][5]。1971年に渋谷区に設置された米国法人の日本支社が前身。その後、1976年4月28日に世田谷区にインテルジャパン株式会社が設立され、1997年2月1日に現在の商号 インテル株式会社に変更した。インテルは、これまでの経営や社是から、中道を嫌い、極端や徹底を好むと考えられている。現行の手法が効果的でないと結論すると、現状に改良を加えるという中間解を選ばずに、全面的な方針転換を行う事がしばしばある。
1970年、IBMのエンジニアアラン・F・シュガート率いるチームによって8インチのものが開発された。容量はわずかに128キロバイトであった。当時はパンチカードの代わりに大型コンピュータへのデータ入力用メディアとして利用され、初期の8ビットや16ビットパソコン用としても1980年代後半まで使われていた。ミニフロッピーディスクとも呼ばれる。1976年、米シュガートアソシエイツ(前述のシュガートが興したメーカー)からSA-400と呼ばれる5.25インチのディスクとドライブが発表された。当初は容量が80kB(1S、片面単密)と小さく、さらに既に利用されている8インチ(SA-800シリーズ)ドライブとは物理的にも電気信号的にも互換性がなかったが1978年にアップルコンピュータのApple IIでこのドライブの兄弟機SA-390(SA-400からコントローラ基板を抜いた物でこれはAppleIIではコントローラはアップル独自の物を利用していたため。ただしドライブの銘板がSA-390ではなく、SA-400のままの物も多数あった。)が採用されると、パーソナルユースを中心に5.25インチのフロッピーディスクは広く普及した。5.25インチのディスクは1D(片面倍密度)や2D(両面倍密度)などに発展し、2DD(両面倍密度倍トラック)を経て、やがて主流となる2HD(両面高密度)に至る。日本においては、5.25インチの2HDドライブは電電公社(現在のNTT)が開発を行ってきたため、発表当時は電電公社フォーマットドライブとも言われた。これは容量が約1.2MBで、電気的にも8インチドライブと互換性をとっており、8インチドライブからの代替が可能だったのもスムーズな移行につながった。このことは、ごく古いMS-DOS等の5.25インチ2HD用ディスクフォーマットを持たないオペレーティングシステム(OS)において、これを8インチ2Dディスク用フォーマットで代用できたことからも、全く同等のものであったことが分かる。