ただし、自由電子の移動する方向と電流の流れる方向は逆である。これは電気発見当時の科学者たちが電気(電流という意味としての)は+極(正極)から−極(負極)に流れると定義した後で、陰極線の発見(次項)により、自由電子の移動する方向は−極(負極)から+極(正極)であることが確かめられたのだが、電流は+極から−極に流れるということはすでに慣例となってしまっていたため、電流と自由電子の流れは逆と定義したわけである。電子の発見は陰極線の発見に端を発する。当時の科学者たちは、電気を通す導体と、電気を通さない絶縁体があり、どんな物体の中でも電圧を上げれば電流を流すことができることを知っていた。そこでほぼ真空に近い陰極線管(クルックス管)に電圧をかけてみると直線状の影が現れた。ドイツの物理学者オイゲン・ゴルトシュタインはこの直線が陰極から発せられていたことから「陰極線」と名付けた。この陰極線の正体について学者らの意見は分かれた。欧州大陸の学者は陰極線の正体は海の波のように直線的に動いているので波動であるとし、イギリスの学者は重力の影響を受けないほど高速で移動している粒子であるとした。この大陸側とイギリス側の論争に決着をつけたのはイギリスの物理学者ウィリアム・クルックスであった。クルックスは、今日、自身の名前がつけられている陰極線管、いわゆるクルックス管を用いて、以下のような実験を提案した。陰極線管に磁石を近づけた際に、
なお、広義のメディアを含んだ場合、数世紀〜数万年といった超長期間の保存メディアとしては、電子媒体より、石板、木簡、紙、レコードといった、古典的な物の方が安全と言われる。もっとも、こうした物への電子データの保存はほとんど無理である。 太陽系外に出る人工衛星に搭載された宇宙人へのメッセージは、いつ回収されるか分からないこともあり、パイオニアは金属板の絵、ボイジャーはレコードなど、これらの類似技術である。(ただしニュー・ホライズンズはCD-ROMメディアが搭載されている。)大抵の電子媒体は、採用する記録方式や使用素材などにより、特有の弱点を持ち合わせている。誤った使用や保管をすると、媒体寿命を極端に縮めてしまうことがある。媒体にとって弱点となる環境下に放置せず、適切な使用や保管をすることで、媒体寿命を延ばすことができる。媒体によって向く使用用途、向かない使用用途もあるので、これを考慮して媒体を使い分けることも必要になる場合もある。
DRAMの内部回路は、各1つずつのキャパシタと電界効果トランジスタ(FET)から構成される「メモリセル」の部分と、多数のメモリセルが配列したマトリックスの周囲を取り巻く「周辺回路」から構成される。DRAMの集積度を上げるにはメモリセルを出来るだけ小さくすることが有効であるため、キャパシタとFETを狭い場所に詰め込むさまざまな工夫が行なわれている。各々のメモリセルはキャパシタ1個とスイッチ用のFET 1個から構成される。記憶セルは碁盤の目状に並べて配置され、横方向と縦方向にワード線とビット線が走っている。 記憶データは、メモリセルのキャパシタに電荷がある場合は論理 ”1”、無い場合は論理 ”0” というように扱われており、1つのメモリセルで1ビットの記憶を保持している[出典 1]。
画像をデジタル方式で記録する初めてのカメラは1988年に富士フイルムから発売された「FUJIX DS-1P」である。 画像を記録する媒体にフラッシュメモリを初めて使用したのは1993年に同じく富士フイルムから発売された「FUJIX DS-200F」である。 デジタルカメラの一般向け普及の口火を切ったのは、1995年にカシオから発売された初のデジタルカメラ「QV-10」である。液晶搭載で6万円台の価格を実現して大当たりし、デジタルカメラが市民権を得た。これはカシオが以前フロッピーディスク形式で保存する電子スチルビデオカメラを発売したものの、競合製品として同価格で8ミリビデオが登場したため売れ残り、これに苦慮し再開発を行った結果とも言える。QV-10の成功を皮切りに多くの電機企業が一般消費者向けデジタルカメラの開発・製造に乗り出した。QV-10発売の二ヶ月後にリコーから発売されたDC-1には動画記録機能があり、その記録方法として初めてJPEGの連続画像(後にMotion JPEGと呼ばれる方式)を用いた。その後、1999年末頃から始まった高画素数化競争や、キヤノンのIXY DIGITALの大当たりによる小型化競争など、市場拡大を伴った熾烈な競争により性能は大幅に上昇し、価格もフィルムカメラ並みとなった。当初は、画質の問題や使い勝手から、デジタルカメラに疑問を持っていた消費者も、画質と使い勝手が改善されるにつれて抵抗がなくなり、フィルムカメラからデジタルカメラへの置き換えは確実なものになりつつある。また、報道関係やプロカメラマンの間でもデジタルカメラは急速に普及した。業務用のデジタルカメラは古くから存在していたが、それらは高画質でも大型で可搬性のないものであったり、一眼レフタイプでも専用のレンズ群が必要で価格も数百万円になるなど、一部の大手報道機関などが少数保持しているだけの特別なカメラであった。しかし、1998年から1999年にかけてキヤノンやニコンなどが、従来型のレンズをそのまま利用でき、かつカメラとしての完成度も高いデジタル一眼レフを相次いで投入、デジタル一眼レフの完成度は急激に向上し、価格も100万円を切るようになった(2008年現在では、エントリークラスの機種なら標準ズームレンズ付きで5万円台で手に入るものもある)。2000年のシドニーオリンピックなどを契機として報道各社を中心にデジタルカメラの導入は急激に進んだ。フィルムの現像やデジタル化の手間がなく、フィルム代もかからないためコスト的にも優れたデジタル一眼レフは、現在ではフィルムカメラを駆逐して、報道カメラの中心的な存在となっている。2000年頃から光学機器メーカー、電気機器メーカーが一般向けデジタルカメラ事業に続々と参入し、価格や性能の激しい競争が起こった。安価なトイカメラを中心に台湾や中国、韓国等のメーカーが加わり、さらにはカメラ付携帯電話も加わって、店頭では激しい販売合戦が展開されている。現在では多くのメーカーが赤字を出すなどして撤退しており、業界の再編が進んでいる。